出張先での雑記帖



坂本
Sakamoto


気分転換に旅先(モチロン仕事)での画像をお届けします!
(印象に残った画像を都度掲載予定です)






2016年 11月26日(土) 坂本(滋賀)


<ぶらり坂本>

<西教寺>

西教寺は、天台真盛宗の総本山。
正式名を戒光山兼法勝西教寺。

聖徳太子が恩師である高麗の僧慧慈、
慧聡のために創建されたと伝えられています。
その後、久しく荒廃していましたが、慈恵大師良源上人が復興、念仏の道場としました。
恵心僧都も入寺、修業されたところから次第に栄えるようになりました。
鎌倉時代の正中2年(1325)に入寺された恵鎮(円観)上人は、
伝教大師が畢生の事業として提唱された大乗円頓戒を復興、
その後百有余年を経た文明18年(1486)に真盛上人が入寺されるに至り、
堂塔と教法を再興、不断念仏の道場とされました。
以来全国に約四百余りの末寺を有する総本山となりました。

<紅葉>

紅葉(こうよう)は、一般的に、落葉広葉樹の葉が、赤や黄色に色づくことを言います。
木の葉が紅くなることを「紅葉」、黄色くなることを「黄葉」と区別することもありますが、
両方含めた意味で「紅葉(こうよう)」が使われることも多いです。
一方、紅葉(もみじ)は、広い意味の紅葉(こうよう)の中で、
楓の葉が紅く色づいた(ひときわ紅色の目立つ)ものが、
紅葉(もみじ)だそうです。


   

久しぶりにリフレッシュできました!




西教寺(山門)
信長の比叡山焼討ちの際(1571)に炎上。
その直後に築かれた坂本城の城主
となった明智光秀は西教寺の檀徒となり、
復興に大きく力を注ぎます。

天正10年(1582)にこの世を去った光秀は、
6年前に亡くなった内室熙子や
一族の墓とともに境内の片隅に
ひっそりと眠っています。

西教寺(本堂)
総欅入母屋造。
江戸時代 元文4年(1739)に上棟落成。
用材は紀州徳川家からの寄進、
正面の欄間(十六羅漢)や
須弥壇はすべて欅の素木造で
江戸初期の特色を表す豪華な
装飾が施されています。

西教寺(大本坊)
この庭園は裏山の急傾斜の
山畔部を巧みに利用し、
丸刈角刈の小刈込を駆使した観賞庭園



客殿庭園(小堀遠州作)

盛安寺(穴太の石積み)
穴太(あのう)の里の盛安寺
穴太積みは、穴太の石工集団が積んだ
石垣のことを云いますが、
自然石を積み上げる野面積みです。



盛安寺(本堂)
天智天皇の勅願によって建てられた
崇福寺伝来の十一面観音像は平安時代の作。
十一面観音には、珍しい四臂の像で、
第一手は合掌し、左の第二手は錫杖を、
右の第二手は蓮華を持っています。



滋賀院門跡
江戸時代末まで天台座主となった
皇族代々の居所であったため
高い格式を誇り、
滋賀院門跡と呼ばれます。



滋賀院庭園(小堀遠州作)